企業情報

こころを紡ぐ機織り工場へ。
自然と職人さんに寄り添い、学べる喜びを共に実感しませんか。

(株)松井機業場

カ)マツイキギョウジョウ

(株)松井機業場

業 種
製造業
事業内容
「絹の可能性」と「豊かさの創造」を求め、約450年にわたる城端絹の技を今も継承しております。
しけ絹を利用したインテリア商品や斜子・紋紗などの表具地、和装用夏用襦袢として使われる駒絽などの 小幅織物を製造しています。平成29年春分の日に地元の子どもたちと一緒に桑畑をつくり、養蚕事業もはじめました。
本社所在地
富山県南砺市城端3393
連絡先
TEL 0763-62-1230

会社概要

本社所在地 〒939-1815
富山県南砺市城端3393
連絡先 TEL 0763-62-1230 / FAX 0763-62-1231
担当者 松井 紀子
代表者名 松井 文一
従業員数 10名
設立年月日 1877年3月
資本金 3,000万円
ホームページ http://www.shikesilk.com/

アクセスMAP

JR城端線「城端駅」より徒歩15分

主な製品

  • 主力商品である「絓絹(しけきぬ)御襖地」。<br />
丁寧に織り上げ、染色した絓絹に和紙を貼り合せたものです。<br />
絓絹のもつ独特の光沢と乱反射で、空間が明るく照らされます。日照時間が少ない富山ならでは。<br />
最近では、壁紙素材としても使われています。(不燃認定済み)

    主力商品である「絓絹(しけきぬ)御襖地」。
    丁寧に織り上げ、染色した絓絹に和紙を貼り合せたものです。
    絓絹のもつ独特の光沢と乱反射で、空間が明るく照らされます。日照時間が少ない富山ならでは。
    最近では、壁紙素材としても使われています。(不燃認定済み)

  • 絓絹のシェード。「まるで繭の中にいるようで、とても氣持ちが良いです。」とのお声も。<br />
絓絹の心地よさを求め、全国からもご依頼が増えています。(防炎加工可能)

    絓絹のシェード。「まるで繭の中にいるようで、とても氣持ちが良いです。」とのお声も。
    絓絹の心地よさを求め、全国からもご依頼が増えています。(防炎加工可能)

  • 昔から城端で織られている「紗」という織り方の技術を継承。伊勢型紙に使われる紗も復刻しました。最近では、「美肌たおる」も商品化し、赤ちゃんや女性に人氣を得ています。<br />
http://www.amazingcraftwork.com/SHOP/MATSU-001.html

    昔から城端で織られている「紗」という織り方の技術を継承。伊勢型紙に使われる紗も復刻しました。最近では、「美肌たおる」も商品化し、赤ちゃんや女性に人氣を得ています。
    http://www.amazingcraftwork.com/SHOP/MATSU-001.html

沿 革

城端絹の起源は、今から約430年前、戦国時代末期の天正時代に畑氏によってここ城端で絹織物が始められたと伝聞されています。

江戸時代には、城端と小松で織られた絹織物が「加賀絹」として加賀藩によって庇護され、城端の絹織物業も隆盛となりました。

元禄時代、絹織物の消費が盛んになり、京都・大阪市場から大消費地である江戸市場へも城端絹の販売を行うようになりました。 元禄六年(1693)の記録によると、問屋制家内工業の段階であったので、城端の戸数689軒中375軒が絹織物に関与していたと言われています。

明治39年、当時26歳の若さで城端町会議員となり、後に織物組合理事長となった岡部長左衛門の働きにより城端でも羽二重と絽の製織を行うようになりました。それまでは五箇山(岐阜県との県境)の生糸をタテ糸に、福光町(現:南砺市福光)の玉糸をヨコ糸に使用した「しけ絹」が主な生産品目でした。現在富山県で「しけ絹」を製織しているのは弊社のみ。

松井機業場では初代・文次郎の創業以来、しけ絹に、和紙を裏打ちした「しけ絹紙」とういうかたちで襖紙として販売。

2代・文次郎
品質をより良くすると共に、「しけ絹紙」の生産効率をあげました。

3代・文吉
「しけ絹紙」を壁紙として欧米各国へ輸出をしました。

4代・鴻造
裏打作業に使われる糊を改造。また、乾燥方法を改良することで、絹紙の製造効率向上を行った。

5代・文一
シルク入浴剤、しけ絹シェードなど時代に合った商品を開発。

6代・紀子
しけ絹の新たな楽しみ方を提案するブランド「JOHANAS」を立ち上げる。

働く先輩の声

  • 働く先輩の声1

    「寒いから中に入るこっちゃ!」と誰となしに、人懐こい笑顔で出迎えているのが社長である松井文一。社員さんを家族のように見守り、支えている。
    現在69歳の社長は松井家に生まれ、子どもの頃から会社で遊んだり、社員の方にかわいがられ、なんとなく幼少期から継ぐ覚悟はできていたという。主力生産品である着物の売上減少、更に2008年に会社を襲った洪水など数々の苦難を乗り越えてきた社長だが、その背景には手を取り合って支えてくれる大切な人々の存在が大きかったという。
    「社長!○○番の織機の調子がおかしいです!」と走ってくる女工さん。社長も「分かったよ!」とすぐに現場に掛けつけ、織機の声を聴く。「古い織機やから大切に使わんなんがいちゃ」と織機までも家族のように愛でる姿がほほえましい。
    女工さんも、織機も、ここで織られている絹もみんな幸せに思えてならない。ここで働くことで何か大切なコトに氣が付かせてもらえるように感じる。
    現在は、和装用の絹織物の生産から、絹を身近に感じられる商品の生産に主力を注いでいる。

  • 働く先輩の声2

    六代目見習い 松井紀子
    「東京で悠々自適に生活をしとって、末っ子やし、継ぐ氣なんてなかったんですよ。」
    そんな松井紀子が継ぐ決意をしたのは2009年秋、社長からシルクの話を聞いたことであった。
    「まず、カイコのことを一頭二頭って数えるってご存知ですか?」なんと、牛や豚などより古い家畜だと言う。「繭は紫外線をカットしますし、水分を調節する機能もある。更に、ナゼか人の肌と同じ成分でできているので手術の糸にまで使われる…シルクってそんなにスゴイ繊維やったん!?と目の前がキラキラになって、”人生にリハーサルはないし、今帰らないと後悔するやろうな”と感じて戻ってきました。」
    2010年から現場に入り、2013年JOHANAS(ヨハナス)を立ち上げ、現在は自然と人にやさしいシルクの良さを商品を通して伝えている。

    「小さな工場なので家族のようにあたたかいのがうちの特長です。昔は赤ちゃんをおぶって通勤していたそうなので、またそんな風にお母さんも子どもの世話をしながら、みんなで見守ることのできるあたたかい環境にしたいです。」

    「先々代は“ 身に着けるもの ”としてのイメージのある絹織物に「絓絹を和紙と貼り合わせる」という新しい発想を形にしました。こうして生まれた「絹紙」は、壁紙などのインテリアにも活用されています。わたしも発想力を磨き、100年、200年先も受け継がれるようなものづくりを目指しています。」
     
    一見、華やかな絹織物の世界の背景には、伝統を守る多くの手が携わっている。また絓絹の原料、繭玉を作るお蚕さまたちは、命を犠牲にして、美しい絹織物をもたらしてくれると言う。松井紀子は松井機業場の中で絹と出会い、絹によって導かれ、新たにこころが紡がれたようだ。
    この工場で働くと瞳が絹のように輝いてくるのかもしれない。